改装したり移転したりしました

というわけで春ぐらいからずっとちまちまやってたんですが、ようやく!!!サイト改装&移転しました。

スマホから見やすくなったりしたはずの改装先はこちらです。

というか実はもうずっと形はできてたんですがタイミングを逃してて、結局先日の夏コミでペーパーで告知して公開しました。
最後の一人になろうとも、私は、自サイトで同人活動をやり続ける……。

小説はまだ移植途上です。いや、これ全部やろうとしてたらいつまでたっても公開できないなって思って。
しばらく一日一作ぐらいのペースで移行予定。
Twitterとかで都度告知するので、うちの話全部読んだことあるって方もこれを機に読み返したりしてみておくれ。
旧サイトは一年以上更新できてなくて(環境の問題で)、その間ピクトブランドに投げっぱなしだった新規作とかもあったような気がするので掘り起こしてみま…す…。



全く関係ないどうでもいい話をします
私、軍師様って呼称死ぬほど好きなんですけど、これめちゃくちゃ捏造なんですよね
原作ではそう呼ばれてるシーンて別にないので…軍師としか呼ばれてないので…。
で、前同好の士の人から

「『軍師様』って萌えるけどほんとは間違いですよね?社長様、部長様と同じで」

って言われたことあって、その発想自体には目からウロコだったんですが、正確に言えば特に文法上は間違いではないですね。多分。
役職、官職っていうのは基本敬称を含んでいるわけで、そこに「様」とか「さん」とかつけると二重敬称になるからアウトなわけですよ。
正直中国の職位を日本の文法で考えるのもややアレな感じがあるんですが、たとえば「武成王」は官職の名前なので、武成王様、とは言わない。
でも軍師、は官職じゃないですね。
だって「太公望軍師」とは作中誰も言ってないですから。
じゃあ何かっていうと、多分あれは職業名です。いや、違和感はわかるんですが、官職としては一般名称すぎる。あと結構昔の中国には普通に軍師いる。(実は20世紀に入ってからもいる)
だからイメージ的には、「弁護士先生」とかが近いんじゃないでしょうか。
この手の微妙な話になると自分の中のオタク分が大喜びしはじめるので手綱をとることに緊張しちゃうんですが、多分それまで一地方都市であった西岐に軍師に相当する役職はなかったんじゃないかなあー。

まあこれで行くと「太師様」はなんやねん、って話になりますが、多分あれは間違いです。
天化とか楊ゼンが「聞太師」って呼んでるんで、あれは敬称になるんだと思うし。

(そもそも将軍じゃない参謀じゃない軍師ってなんなのかっていうと、それはやっぱちょっと巫師的なものなんですよね。伝統的に。でもこの「伝統」ってのがそもそも太公望呂尚を礎にしているのでアレ……)

8月10日楊太オフ

アフターって言うとどうも夏コミに参加してない人が参加しにくいっぽいので、特にそうは言わないことにしようかと思います。
というわけで夏コミ当日、8月10日の夕方からオフをやります。前回の記事もご参照ください。
野望としては、楊太が好きなひとが集まって美味しいものを食べて各々自分が楊太の好きなところを語る、という楽しいだけの会にしたいと思っております。

開催場所:東京駅もしくは新橋駅周辺(人数決定後ご連絡いたします)
開催日時:2019年8月10日 18:00〜
参加資格:楊太が好きな女性。普段主催(@mhatono)と特に交流をしておらずとも問題はありません。また楊太仲間がネット上にいないという方もお気軽にどうぞ。

参加はこちらのフォームから。


今のところ参加者様は私含めて六名ぐらいですが、お互いに面識がある方ばかりでもない感じの会になりつつあります。

私はまだそこにいない

 知らないジャズの大家がなくなったということでTwitterでたくさんの人が慟哭していた。その中には私が大好きでいつも見ている人もいた。神様を失ったと言っていた。
 私はそのジャズの大家を知らないので全然わからないのだが、それだけたくさんの人が慟哭するからには、とても偉大な人だったのだろう。
 私は誰が亡くなったらそうなるだろう。私はまだ心から傾倒した同時代人が亡くなったという経験がない。子供の頃に星新一の訃報を聞き、十代の頃に倉橋由美子の訃報を聞いたが、どれだけ愛しても私にとってその神々は同時代人ではなく、天上界の存在がさらにもう一つ扉を開けて消えていった、ということを聞いたのに似ていた。寂しかったが、慟哭にはならなかった。敢えて言うなら二十代の初めに氷室冴子の訃報があったが、この私が最も敬愛する少女小説家も、筆を折って久しかった。

 フジリュー同志では、フジリューの訃報だけは死んでも聞きたくないから本当にその前に死にたい、と言っている友人が二人ぐらいいる。
 それはやなんだけど。フジリューが死ぬのもそりゃやだけど君らが死ぬのもやなんですけど。って話をしたかな、したよね。しときますね。こういう過激な連中が隣にいるから私も「自分はまだまだ病が浅い」という自己判断になるんだよ……。

 でも私は、そこまでは多分いかないだろう。

 たとえ作者の死をもってしても、あの日に見た作品は自分の脳裏から奪われない、時間も喪失も既に成立した世界に瑕疵をつけることはできない、という非常に強い信仰が私にはあり、これが私を支えている。
 だがそれとは別に、もちろん創作者への感情はある。
 それは、その世界を顕現させた偉大なものについての畏怖である。

 いつか訃報を聞いたら、世界の一部が欠けたと感じるだろう人々を数えてみた。ほんとうに厳選したのであまり多くはならなかった。
 どなたも私より年上なので、多分いつかは訃報を聞くことになるのだろう。
 なるべく遠いことであってほしい。

 田中芳樹。
 高村薫。
 高橋留美子。
 山岸涼子。
 小野不由美。
 なるしまゆり。
 Cocco。

 藤崎竜。