覇穹封神演義とはなんだったのか

またアプリゲーとコラボすんの?

最近の覇穹関連を見ているとなぜかルーマニア革命以前、チャウシェスク政権末期の話を思い出す。
当時は1980年代、ルーマニアは国家経済が破綻し、国民は飢え、滅多に商品が入らない店に長い列を作っていた。
しかしここに有名な話がある。
この状態であっても国家元首であるチャウシェスクが街を視察するときは、側近から指示された部隊が先回りし、訪問予定の商店に品物を陳列させていたという。
体制下で安楽な生活を送る政府高官たちは、チャウシェスクに現状を正確に把握されてはならなかったのだ。
TVには元首が豊かな町を歩いてゆき芸術祭を鑑賞する映像が放映され、国民の現状とはかけ離れた、架空の「繁栄国家のイメージ」だけが空回りしていたという。

……そんなわけで覇穹も三月ぐらいからですかね、「ヒットアニメのイメージ」だけを空回りさせようとしているとしか思えなくなってきまして、それで私はどうもこの製作陣は「視聴者じゃない誰か」にそれを見せたがっているように思えてならなくなった。個人的に一番違和感が強かったのはスイパラコラボですね。あれwwwwやべえwwwww
だって視聴者の側はルーマニア国民と同じで、普通にしてればおかしいことに気づくだろう。
「姫昌に妲己を倒させろ」って言われて頷いた直後に主人公が妲己を倒しに行くとか、蟬玉が人形で出てきたあと普通に人間としても出てくるとか、数々の誤字とか。
努力して楽しもうとしてる人はそりゃいるのかもしれないが、努力してる時点でおかしいわけで、あとはまあ、「色々気になるけどアニメ化自体は嬉しい」
 とか
「絵は綺麗だから」とか、必ず何かしら前置きがついている。
(まあ別にそれはそういう人もいるのだなあというだけで、別にそれがいいとか悪いとかは全然ないんですけど。アニメという媒体自体に思い入れがある人もいるんだろうし)

ルーマニアの高官は、他でもない自分たちの元首に見せるため、偽の繁栄のハリボテをつくっていた。国民から見れば一目瞭然だがそんなことはどうでもいいのだ。時々町を訪れるチャウシェスクの目に映るものだけが繁栄していれば、彼に重用されている自分の地位は安泰だ。

で、これを踏まえて下記の話をするのだが、勿論なんの確証もない仮定であることは最初に言っておく。

 覇穹の製作陣は、他でもない会社組織上層部の「誰か」に見せるため、「がんばった自分たち」「本来ならツボをつけたはずの企画」を演出している。
まともに見ていれば「わからない」「つまらない」「構成が破綻している」のは一目瞭然だがそんなことはどうでもいい。
「上の人」に向かっては、
「ネットの声は否定的なものが目立つ事実も加味しなければいけない」
「思い入れがあるファンの要望に全て答えることはできない」
と言っておけば最低限の言い訳にはなる。
なんの言い訳なのか?
もちろん、予算を出してもらったことへの言い訳である。これができないとルーマニアの高官と同じで自分の首が切られる。
この製作陣に秀でている点があるとすれば、
「アニメの放映枠をまがりなりにも最低限の労力で埋めるバランス感覚」
にあった。
ただしその最低限の基準は、原作ファンではなく一般視聴者でもなく「上層部に報告書を提出できるかどうか」だと仮定すると多くのことに納得がいく。
(或いは広告に予算を使いすぎたとかそういうことも十分考えられるが、その辺りはブラックボックスなので言及はしない)(まあ総集編サンドイッチをやるまでの話だからこれも過去形なんだけど……)
なんの確証もない仮定だが、どうもそれが一番納得できるな、というところにたどり着いて以降、あのアニメについて私は何一つ興味が持てなくなってしまった。
最初の頃は「どんな解釈したらこうなるねん」とか「どういう見せ方をしたくてこうなってしまったのか」とか考えると止まらなくなったから感想ですごい長文書いてたし、あれはあれで原作についての再発見とかあってそれなりに楽しさもあったのだが、今は「アホやなー」という以上の感想がもはや出てこない。だってこちら側を向いてないプロジェクトの内実なんて本当に考えるだけ無駄じゃないですか。
んで、時を同じくしてアンソロジー編集とか〆切の忙しさで物理的にアニメ自体も見られなくなり、その後落ち着いたタイミングがきたかと思ったら、外伝という名の神の火に脳のリソースが徹底的に焼き尽くされたわけです。
と、ゆうわけで多分もう見ないと思います。そんなことより外伝だよおおおおお外伝んんんんん。

実は今月分のabemaTVのプレミアムプランの解除忘れてたから、見ようと思えば今からでも十三話〜見られるんだけどね。

なお、騙され続けた独裁者であるニコラエ・シャウシェスクは、怒りの頂点に達した市民の手によって、最後は妻と共に銃殺されることとなる。



追記1
敢えての良かった探しとして止め絵が綺麗というのがよく言われるが、意地悪く考えれば、おそらく「企画資料」としては止め絵が最も使われるだろうな、という気持ちもある。
アニメというプロジェクトの報告を社内でどのように行なっているのか私は完全なる門外漢なので当然知らないが、動画を見せるには一定の時間を取らなければいけないだろうということは想像がつく。誤字や用語の間違いの頻出を見るに、そんなにこの作品のブラッシュアップにじっくり時間をかけている感じがしない。

追記2
「制作サイドが人気キャラクターを贔屓しているのでは」とか、
「プロデューサーや脚本家が好きなキャラの出番を盛っているのでは」とかいう声を時々聞くのだが、これについては割とずっと違和感があったりする。
第一に、太公望より人気のキャラクターというのはデータを見る限り未だ存在しない。

公式人気投票は普賢がまだ出ていなかったのでともかくとして、近年有志の間でTwitterで行なわれていたやつとか、今なら単純にPixivの検索で出てくる件数とかも参考になると思うのだがどうなんですかね。
第二に、よっぽど力のある監督ならともかく制作サイドが一個人の好みで構成を動かせるようなプロジェクトというものに違和感がある。(そもそもプロデューサーが、「仙界大戦中心に描くのは現場よりももっと上で決まったこと」だと明言している)
第三に、好きなキャラクターを出して動かしている高揚感というものが、制作側から一切伝わってこない。


んで。
なんとなくだがキャラクター関連については、最初のところの企画提示で失敗したのではないかな……。
というのもこの製作陣、太公望の魅力については一貫して、
「老人言葉で喋る少年キャラの意外性」
という以上のものを一切描写していないからだ。「できてない」とかじゃない。それ以外のものを魅力として認識していない感じ。
あの主人公には落ち着きもなければ慈愛もないし、人間界への想いも民への憐れみもその奥にある永劫を生きてきたものの奥深さと裏腹の儚さも全てがない。というかそもそも一貫した人物像がないんだけど!あと後半は私の妄想なんだけど。

……私の好きな言葉の一つにチャーチルの乳母が言ったという、「思慮のないところに感情はない」というものがあるのだが、実際確固たる知性抜きで慈愛を体現することはできない訳で、結果的にこの両輪が見事に外れているのは、この箴言のまったき見本である。

なぜそうなったのか。
確かに太公望の人気の理由は非常に重層的なものでもあり、未読の完全な第三者にわかりやすく納得してもらうのは難しい。
それに比べれば楊ゼンや普賢はまだ楽である。彼らの人気の理由が重層的じゃないわけではないが、少なくとも太公望よりは解説がしやすい。最初の情報量が多いからだ。顔もわかりやすく良いし色も華やかだしね。
かくして太公望よりも、楊ゼンや普賢のキャラクター性についてのほうが、発起者の「プレゼンがうまくいった」――と考えるとこの偏りは非常にしっくりくるのだ。
たとえば上層部では、こんな会話があったかもしれない。

「いやー今のプレゼンね、熱意はあったけど、太公望っていうキャラ?時間は長く取ってもらったけど、あれはよくわかんなかったね」
「地味ですよねえ。昔は確かに『ジジイ言葉の少年』は斬新だったとは思うんで、その頃の思い入れから抜けきれてないのかもしれませんよ。ギャグ担当ができるし、辛い過去とかも人気要素としてはわかりましたけど。ただ、今はちょっと流行らないかもしれない」
「敢えていうなら実は王天君と同一人物だっていう話はダークで若い層にはウケるかな」
「でもあれ、話を聞く限りでは終盤に唐突な展開でちょっとわけがわからないと思うし、しかも始祖でしょ?今時セカイ系すぎますよ(笑)。もしやるならある程度先取りして描写してもらわないと違和感がありそうだと感じました」
「それは今後製作するにあたって重要なところかもしれないな。先に描写、とメモメモ……
結局女性向けで売るなら、楊ゼンと普賢をメインとして描いてもらったほうが間違いはないだろうね。『実は人間じゃない美形』も『実の親との確執』も『捨て身の特攻』もうまく描けば絶対いけるでしょ」
「じゃあやっぱり仙界大戦主軸ですね」
「当然。グッズも売らなきゃいけないしな」

まあうまく描くことさえできなかったから覇穹なんですけど。(天化?人気投票第2位を買われての特典ですよ…)
この度はご愁傷様でした。
追記長えな!

終わりに身もふたもない話をします。
正直私としては仙界伝を再評価する気も一切ないので、原作信者の立場からすれば
「仙界伝は当時の熱狂的な人気にややぬるい水をかけただけで何も生まなかったが、覇穹は少なくとも外伝を生んだ
という見方もできなくもない。

原本:「本場インドのカオスかつエネルギッシュな力強い香辛料のカリー」
原典(安能版):「ある程度まとめられ、料理としての秩序がもたらされつつ元の香りも生かしたカレーライス」
WJ封神「さらに翻案された、辛口だがおいしい『日本の家庭のカレーライス』」

仙界伝:「カレーライスを作りますと言っておきながらカップヌードルカレーを出してきて、しかもそこにスパイスを考えもせずにブッ込んだせいでカオスになってる上に大して美味しくもないのに『本格派ですよ』とかドヤ顔してるやつ」
覇穹「原材料費を削減しまくったせいでめっちゃくちゃ薄いのを水と小麦粉で量だけ盛っておいて、『カレー以外の要素は何も入ってませんよ!』とか言ってるけどもう誰も聞いてない。あとビニール袋の切れ端とか入ってる」

私は別にカレーライスさえあればいいんだよなあ。
あ、本場もやっぱり気になるんだけどさあ。

「高度の柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対処することになろうかと思います」

「再アニメ化に踏み切った時機を、現時点に定めた理由をお訊きしたい」
「アニメ化には機というものがあります」
「つまり、現在こそが再アニメ化の機会だと貴官は言いたいのか」
「かくりよ打ち切りからの銀英伝連載開始によってフジリューファンは狼狽し、なすところを知らないでしょう。まさにこの時機、空前のスタッフと声優陣が長蛇の列をなし、萌えと推しの旗を掲げてすすむところ、勝利以外のなにものが前途にありましょうか」
「しかし、その脚本では筋に無理がありすぎる。行動はあまりに一貫性がなくなり、理解にも解釈にも不便をきたすだろう。しかも、視聴者はシナリオの粗をつくことで、容易に作品を批判できる」
「なぜ批判の危険をのみ強調するのです。アニメを取り上げる人が増えれば各所で話題になり、視聴率があがることうたがいありません。とるにたりぬ危険です」

いやーやっぱりもっと早く、誰かこいつを刺しておくべきであった。
え、いやいやフォーク准将のことですよ。そんなの当然じゃないですか。

最近のソウルフルソングは命の別名。

くりかーえーすあーやーまーちをー
照らーすー灯ーをーかーざせー

われてくだけてさけてちるかも

だいぶTwitterで吐き出して来ました。

ステータス:虚無。

なんかもう、アニメの出来をあれこれ思い煩う気持ちさえすべてふっとんだな……。

このままいけばとても清々しい気持ちで放映日を迎えられる気がする、と思っていた。
会場で太公望の描き下ろし色紙を見た時は。
この一枚を藤崎竜に描かせたのがアニメ化の功ならば全てに感謝し許そうと思い、クリスチャンでもないのに十字を切る思いで、11時50分からのステージのために9時半に従容と並んだのが12月16日の我々だ。ちなみに外の待機列に並んでいたのは7時半からだ。コミケを思い出すと言うかコミケだって一般の時はこんなことしてない私。

例の情報は、ステージも終盤に落ちて来た。
しかし思うんだが、どうせなら本当にラストにしておいたほうがよかったよね……。
そのあとのせっかくの主題歌についての告知とかも、みんなほとんど反応できなかったんじゃないの。
声優さんのトークは面白かった。
ひねくれ者の私にもがんばって、気を抜かないように、でも楽しんでやってますよ!という気持ちが伝わって来た。声優自体につくファンがいるという現象自体私は結構ずっとナゾだったのだが、銀英新アニメイベントで聞いた話も面白かったし、最近は割と納得できるようになってきた。
以下記憶に残っているところ。
・やっぱり小野賢章さんは低いなあああああ。決して嫌な低さではないし低いの自体は別にご本人のせいではないんだけども低いなああああ。ただ太公望は多分誰が演じても私は納得できないだろうしなあ……(繰り返す懊悩)
・と思っていたら「こんな感じでやってもダメじゃないですかー笑」というノリで
「すぅぷぅしゃん!ゆくぞぃ!(よぼよぼよぼ)」
小野賢章、見事なジジイ芸を披露。
会場が爆笑する中、
(え、もういっそこの路線でもいいんだけど……!!?)
と強く思ってしまったハト一羽。
どうせ声質でじゅうにさいに振り切れないならジジイに振り切ってくれ。でも「じゃ」はアウトだぜ!(なんでいつまでもいつまでも「じゃ」って言っちゃう事故が後を絶たないんだ…?)(いやあ確かにゼロではないんだけどさあ……)
・ちなみに小野さんは普賢と太公望のオーディションを受けたらしく、
「普賢のほうがしっくり来たんですけどね、自分では」
・アフレコ現場では「ジジイ感がスッとある」瞬間があるとのことである。
・櫻井孝宏さん。
・「誤植じゃないの?ってまだ言われます」
・「オーディションでは楊戩と四不象受けたんですよ。でも楊戩、中村(悠一)さんだって聞いて。ですよねー!!ですよイケメン死ね」

・あー出演していない声優さんが当てているキャラについてお二人がコメントするくだりがあったんですけど、楊戩についてはなんかもう「もーわかるよこういう感じなんでしょ?イケメン死ね」「次いこ次。イケメン死ね」(※実際の発言ではなくイメージです)みたいなノリだったの凄いウケた。楊戩の同性から嫌われるところ、わたしすごく好きだよ!
・司会のおねえさん「妲己にたぶらかされてみたいとかはないですか?」
「ないです」
「全くないです」
・紂王のアチャーな感じがすっごいっていうの割と楽しみ。太子戦はカットでしょうね……(前作がトラウマのため安堵している模様)

そしてPV第二弾、初出。
太公望の違和感、増えたんですが?
笑ってるシーンのコレジャナイ感すごくねえ?
いきなり不安に突き落とされる鳥類。
特に今回直前に色紙見て来たから……。あのかわいさ見てくれよ……。ううう待ち受けにしてしまった。
まあでも動きはすごく良いんじゃないかと思いました。
私アニメを見る目節穴なんで適当なこと言ってたら申し訳ないんですけど。
ただ冒頭にあれを持ってくるセンスに一抹の不安が残るだけで……どうも目指している太公望像自体にクセがある気がしてならない……。
画面に道徳が映った瞬間悲鳴が上がったのは忘れません。太乙も。
そんでDVD特典とか限定版についてくる優先チケットだっけ?とか、その辺の情報がわーっと出て、ただほら結局アニメ情報だから。
アニメイベント、まあやってたら行きたいですけど、実際ものすごくテンション上がるかって言うと別にそうでもなかったりするので、ちょっとこの辺で終了モードというか、「あー思ったより楽しかったしよかったなー」って思ってました。嘘です「色紙がわいがっだあああああと100回見て帰りだい」ってなってました。
だから小野賢章さんが、
「ここで重大発表です!いやー朝早くからここまで来てくださった方に、このまま帰ってもらうわけには行かないでしょう!」
とかゆって立ち上がった時、
いや確かに朝は早かったけど何事?
って思ってましたね。
そろそろ疲れて来たしもういいよ…
とか言いかねませんでしたね。早く色紙をもう一度見せろと。
鳩野まるみ、2017年最後の教訓。
人様が真剣な目をして何かを言い出したら、まずはこちらもそれだけの心構えをして聞け。
それは礼儀云々以前に、心を衝撃から守る自衛のすべである。

正直もう会場がその時どんな反応をしていたのか、私は全然思い出せない。
隣にいた同行者ことナラハと、ほとんど支え合うよーに立っていた。
声優さんが、
「な、泣いちゃった?そうだよね泣いちゃうよね」
と前の列の方に声をかけていたから、ああ誰かが泣いちゃったのか、そうだよね私も泣きそう……。と思っていたことと、逆隣の方がものすごい勢いで拡散しているらしくそのスマホ画面を滑る指の速さが凄まじかったことだけを、やけに鮮明に覚えている。いやあれはマジで凄かった。風が起こるフリック入力だった。

私は、この喜びを表すすべを持たない。
誤解されたくないんだけど、嬉しいんだ本当に嬉しいんだよ。何が見られるのか本当に楽しみにしてる。今更幻滅とかすることももうないと思う。
でも何故か、はしゃいで「やったー!」とは、どうしても言えないんだ……。
出てくる言葉は何故かこれだ。
「死にそう」
永遠のカイロス……