覇穹封神演義#8「十絶陣の戦い」感想

覇穹封神演義#8「十絶陣の戦い」

あらすじ。
あらゆるものが高速で風化する――。
タイムリミットが迫る中、張天君の使う紅砂陣に苦戦する楊ゼンは、ある選択を強いられる。それは同時に、ひた隠してきた自分の本性に向き合うはじめでもあった。
一方崑崙で待つ太公望たちは、楊ゼンを信じてひとつの決断をすることになるが。



以下の記事にはネタバレが含まれます。

八話が放映された時には咲いてもいなかった東京の桜が散り夏が近い。皆さんいかがお過ごしでしょうか。

すいません私はもう視聴してません。

でも十二話までは見てた。
最後のあたりでは最近の小野けんしょーさんの声が地に近くなってきてる感じがして気が気じゃなくなってたんだけど今はどうなってんですかねあれ。
いや、初期は声もけっこう許容しようとしてたんだけれども、それはあくまで「努力しており」「わからないなりに模索している」ということが伝わって来ていた気がしてたからなんで……。
実際のとこを知るすべなどもちろんないが、最近なんか惰性でやってなかった?「どうにか太公望を演じようとしてる人」の声が「ただの兄ちゃん」の声になったらもうなんの意味もなくない?(個人の印象です)
紂王は出ないし、妲己の演技は最近若干過剰で気に入らなくなって来ているので、もう中村さんしか信じられない……と思ってたらまさかの王天君熱演でちょっとビビっている、というのが3月当時の声優周辺雑感だった。
というわけで遅れまくってるけど八話感想です。多分これが、アニメ感想という形では最後になります。

「この身体も相当ガタがきてるわん」の直後になぜか入る妲己のオリジナル台詞。
「わらわ並の頭脳を持っていて、その上忠実な手足となって動いてくれる駒がいればいいのだけど」
あー、挙手を求めます。
脚本はどういう考えでこの台詞を入れたんですかね?
私の思考能力では、ここで王天君について伏線を貼りたかった、ここで「そういう存在」を欲した妲己が王奕に目をつけたのだ、というルートを示唆したいのだろうという以上の理解ができないんですけど。

うん……。
10数年前(とアニメでもちゃんと言ってる)……。
王奕、もう王天君なってるね……。

おさらい。
約200年前楊ゼン・王奕トレード
約60年前太公望の故郷焼かれる
同じく約60年前その妲己を聞仲が追放
約50年前・楊ゼン金鰲潜入→絶縁宣言(この時通天教主はまだ健常)
20年前、聞仲人間界に降りる・通天教主壊れ始める(妲己と王天君に依る)

個人的には「聞仲が追い詰められた時の妲己の逃げ方」を見るに、ここでも王天君は一枚噛んでた派だったりするんですけど(※空間移動の演出が同じ、というか空間移動自体そうそう誰でもできる芸当ではない)。
まあそれはおいといても、20年前には既に楽しく通天破壊工作はじめてますからねここの母子。
時系列の確認もできないならオリジナルの伏線入れようというのは、少々身の程知らずだと考える次第。
なお原作では本物の「妲己」の魂は即殺されて妖狐に乗っ取られたことがシンプルな演出で説得力をもって描かれているのだが、アニメの演出では王天君と同じようにルージュの小道具を出してくるなど、まるで「人間妲己」も人格改造されて操られたかのようなんだが、だからと言って妲己が元に戻ったりはしないんだろうな……。

張天君戦。
他でもない「この戦い」で、楊ゼンが最初の半妖態を見せるに至った要因について最近つらつら考えていた。
ここまでも楊ゼンは大きな戦いのたび、割に危ういところはあったのに(そしてキレかけるたびに確かに「何か」を匂わせる言動はあったのに)、結局ことここに到るまで本性を顕せなかったわけじゃないですか。
しかも先の話ですけど、血の雨の時にはまた妖怪としての能力が覚醒させられずに師を喪う、という事態を引き起こしている。これ、私は実は最初違和感があって。
楊戩、まだ吹っ切れてなかったのか、っていう。
玉鼎はそもそも知ってたし、それでもあそこで再び本性を晒せなかったのか、さすがにひどくないか、という違和感ですね。
でも結局実際、そういうことなんだろうなあって。

紅砂陣ではじめて半妖態を見て読者(私)はウワー格好いい!強そう!!って死ぬほどテンション上がってたけど、楊ゼンにしてみれば本当にあれは「緊急避難」以外の何物でもなかったってことですわな。

「明確かつ短期的なタイムリミットが存在し、速攻戦で間違いなく相手を仕留めなければならない」
「亜空間という外界から閉ざされた舞台である」
とゆう、これまでになかった二つの要素が楊ゼンの背中を押したんだと思います。
前者は積極的な要因であり――
後者は非常に後ろ向きな要因で、そうしてこの要因こそが、他の戦いとこの戦いを明らかに分けるものだった。
ここで何が起こっても、外界からは見えないのだ。楊戩が何に変じていても。

張天君を倒した楊ゼンは張天君に変化して亜空間を出た。
王天君が言うように「悪趣味だから」だろうか?(※)
私はこれについても、やはり「緊急避難」だったのではないか、と今は思っている。
人間の形態を保てないほど消耗した妖怪は、異形の手を隠すというただそれだけのために、「目の前にいた異形」に成り代わったのではないか、と。
その楊ゼンの切迫した心理については、最近ようやく考えが及んで来たなあと思うのです。まあアニメがきっかけっちゃきっかけといえなくもない(うつろな目)

その他
・なんで捨てられた二人の子供の話ここでやるねん、と思ってから理由考えても意味ないんだったしまったしまった、って思い出すまでがワンセット
・妲己ちゃんに大量引き抜きされる通天教主、確かに原作通りなんだが、妲己ちゃんのセリフの間ずっと目を丸くしたまま棒立ちのせいで無能感マシマシでヤバイ
・「信頼できる友」
 思えばこの辺りからだったな。
 覇穹主人公の顔見ると寿命が縮むようになったのは。(もうあまり言及したくない)

※ それはそれとして悪趣味は悪趣味かもしれない。たった今自分が殺害した相手に変化する神経はあんまり普通とは言い難い。でも結構なー。楊ゼンって繊細なようでいてそういうところの神経ぶちぶち切れてるんだよなー。父と師を殺した王天君に変化するのもなんの躊躇もない上に、馬善戦では太公望も見てるのに普賢変化するし天祥も見てるのに天化変化するし(しかもただのパフォーマンスである)必要があれば迷いなくなんでもやる人でもあるんだよな……。
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