私はまだそこにいない

 知らないジャズの大家がなくなったということでTwitterでたくさんの人が慟哭していた。その中には私が大好きでいつも見ている人もいた。神様を失ったと言っていた。
 私はそのジャズの大家を知らないので全然わからないのだが、それだけたくさんの人が慟哭するからには、とても偉大な人だったのだろう。
 私は誰が亡くなったらそうなるだろう。私はまだ心から傾倒した同時代人が亡くなったという経験がない。子供の頃に星新一の訃報を聞き、十代の頃に倉橋由美子の訃報を聞いたが、どれだけ愛しても私にとってその神々は同時代人ではなく、天上界の存在がさらにもう一つ扉を開けて消えていった、ということを聞いたのに似ていた。寂しかったが、慟哭にはならなかった。敢えて言うなら二十代の初めに氷室冴子の訃報があったが、この私が最も敬愛する少女小説家も、筆を折って久しかった。

 フジリュー同志では、フジリューの訃報だけは死んでも聞きたくないから本当にその前に死にたい、と言っている友人が二人ぐらいいる。
 それはやなんだけど。フジリューが死ぬのもそりゃやだけど君らが死ぬのもやなんですけど。って話をしたかな、したよね。しときますね。こういう過激な連中が隣にいるから私も「自分はまだまだ病が浅い」という自己判断になるんだよ……。

 でも私は、そこまでは多分いかないだろう。

 たとえ作者の死をもってしても、あの日に見た作品は自分の脳裏から奪われない、時間も喪失も既に成立した世界に瑕疵をつけることはできない、という非常に強い信仰が私にはあり、これが私を支えている。
 だがそれとは別に、もちろん創作者への感情はある。
 それは、その世界を顕現させた偉大なものについての畏怖である。

 いつか訃報を聞いたら、世界の一部が欠けたと感じるだろう人々を数えてみた。ほんとうに厳選したのであまり多くはならなかった。
 どなたも私より年上なので、多分いつかは訃報を聞くことになるのだろう。
 なるべく遠いことであってほしい。

 田中芳樹。
 高村薫。
 高橋留美子。
 山岸涼子。
 小野不由美。
 なるしまゆり。
 Cocco。

 藤崎竜。
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