石垣島などに行ってきた2019【その1】

旅の主な登場人物
梓ゆきさん 沖縄の優しき人。楊太と太乙受け。絵描き。
沖バナさん 沖縄の小さい生き物。楊太とかの絵描き。
鳩野まるみ 小説とまんがとうさぎとほもが好きな鳥類。楊太とか字書き。

〜私がレポ書いたら沖バナさんもレポ漫画描くっていうのでがんばって書きました〜


ほぼ4年ぶりに沖縄に行ってきた。
といっても前回の沖縄行きは沖縄の老人ホームに入った親戚を見舞う旅だったので、観光としては実に6年ぶりである。
今回のメインは石垣島だ。
太公望が化けた石敢當に会いに行った。
旅の道連れは沖バナさん。前回死ぬほどお世話になりました梓ゆきさんにも、またまたとってもお世話になりました。
沖縄人のやさしさに体が溶けそうだし、ここで溶けたら美しい海の一部となってこの穢れた心身は浄化されるかと思いきや残念ながら業が深すぎてさすがの美ら海にも拒絶され、黒潮に乗って北上し世界をめぐります。
めぐるな。


初日 何もせず海を見て終わる

早朝の東京は雨だったが、那覇にはうつくしく日が差していた。
那覇空港は明るいイメージが強い。南国の光そのものが、たくさんの窓からダイレクトに飛び込んで来るせいもあるだろう。歴史のある日当りのいい家みたいなかんじがする。
とか思いながら沖バナさんと連絡を取ってやっほーいと到着エリアに降りたら、
なんか巨大な鳩がいた。
私は足元から崩れ落ちた。

 

 

沖バナさん・画

 

「はとのさん驚くだろうな〜と思ったら描いててすごく楽しかったよ!!」
ありがとうマジですごくびっくりした。
「梓さんがやってたっていうから!見習わなくちゃって!
(この沖縄人の情熱は一体!?)

 

(参考:前回梓さんと同居人VANさんがお迎えしてくださった時のウェルカムボード※この時は羊もいました)

 

さて、沖バナさんとはミュージカルを一緒に見た一月以来である。
再会を喜び合い空港の中のカフェでごはんを食べ、沖バナさんはこそっと鳩の巨大ボードを捨てた。
「だって石垣島には持っていけないし」

はかない…。

さて、石垣島への16時台の飛行機の時間までどうしよーと二人で迷ったが、体力も温存したかったので、結局ラウンジでだらだらすることにした。
思えばこれが間違いの元であった。
せめてラウンジに行く前にチェックインを済ませて、いやせめて手荷物を預けておけば……。
うぐぐぐぐぐぐぐ。

ラウンジでだらだらしゃべってた我々、そろそろかなーとか言ってぼんやりチェックインに向かったら、なんか様子がおかしい。人がいない。
きょとーんとしてそこらへんの係員さんに訊く私たち、まだ事の重大さを理解していなかった。
え?
チェックインが終了してるの?
え?


チェックインが終了してた。
(=予約していた飛行機に乗れない)

えっマジ!?

事態を把握するのにちょっと……
かかりましたね……。

いや正直、正直に言うと最近ちょっといいカードに切り替えたので空港内のちょっといいラウンジをつかえるようになって、私がそんなプチブル的な喜びに浸ってのんびりしすぎてたからこんなことになったんですよおおおおお。という自責の念がすごかったんですが、沖バナさんは沖バナさんで
「わあああんごめんね私いつもLCC使ってるのになんでぼーっとしてて時間に気づかなかったんだろう????」
って言ってくれて
なんかもう二人でぺこぺこ頭を下げていた。

はーーーーでもやっぱり飛行機予約した私が気づけよって感じで、どっちかというと私が悪かったと思うのだ。すみません……。
何故か自分への衝撃で、二人ともずっと爆笑してたけど。

ひとしきりうろたえた我々、とりあえず次の飛行機を見るがやはり論外に高いので、もう今晩の石垣島のホテルは捨てて明日の早朝の便を押さえることとする。
これはどうにか一万円以下でおさまった。
よかったまあ…誤差の範囲だ…。あとは那覇周辺でホテル探さないt

 

「うちのおばあちゃんちの上が空いてるから泊まる?」
「えっまじ?やったー泊まる泊まる!」
「とりあえず…車乗ります?」
「乗る乗る!」

 

というわけで沖バナさんがもきゅもきゅと運転するラパンで我々は颯爽と那覇空港を離れ、ひとまず海とか見に行きました。
行ったのは、那覇空港近くの瀬長島。
海綺麗だった。
そしてここで、私も道を見てたのになぜか迷い込んでしまい、一方通行を逆走するなどした。(ギャー!)

あとはとりあえず調べて、スーパー銭湯と銭湯の中間みたいなところで温泉に入りました。
沖縄料理を食べました。じーまみ豆腐がおいしかった。

なんかこの辺から普通にたのしくなってきて、いよいよ沖縄中部にある沖バナさんの祖父君祖母君のお宅に向かう。


「すごく散らかってて汚いと思うんだ……ごめんねごめんね」
「大丈夫だようちも散らかってるし」
 

などと言いながら(うちというか私の部屋はほんとうに散らかっている)お邪魔したが、なんか全然片付いていた。
しかもなんか寝具が整いテーブルには山のようなお菓子やタオル、歯ブラシとかのアメニティまであって、横には綺麗な箱が置かれていた。

「!!!?」(竜宮!?)
「これは……おかーさん!?」

この東京から来て宿をなくした愉快な鳩のために、沖バナさんのお母様が急遽お掃除に入り、しかもお菓子まで置いていってくださったらしい。
何それ優しすぎない????涙が出てきました。
しかも綺麗な箱は私宛だったらしく、中には輝く琉球硝子のタンブラーが入っていた。
東京から来て自業自得とはいえ飛行機に乗り遅れるようなアホなことをしてしまった娘の友達に、せめてもの慰めとしてくださったのだろう。
これがうれしくて、ここまでもだいぶ回復はしてたけど、本当に元気になってきた。
あと、タンブラーが楊太色で戦慄した。
青と黄色の混じった朱色のペアなの……すごくない?お母様は何も知らないらしいんだけど……。
朱色の方がほんの少し小さいのもさすがって感じです。(何が)

寝る前にiPhoneでアラーム画面を設定して枕元においてたら沖バナさんが
「ひゃぉう!?」
って叫んでびっくりしたけど、
私のアラームアプリ、背景画像を設定できるやつなので、牧野の妲己ちゃんと対峙してる太公望の絵にしてたのだった。
(気を抜けば更に押される!のビジュアル)
「い、いきなりかわいいもの見てびっくりした」
「ふふふかわいいだろう」
「っていうかそんなん寝れなくない?興奮しちゃって」
うん、だからいつも気を失うように寝てる……。

 

ちなみに起床時のアラームの背景画像は「理解不理解」の洋装楊ゼンです。目が覚めるよ。(時々また気を失うけど)

 

二日目に続く。

 

海ぶどう

ジーマミー豆腐

瀬長島のねこ

台湾ホテルリスト2

色々書きたいことはあるんですが(石垣島に行ってきたのでそのレポとか)、ひとまず書けてるものから出していかないとどうしようもない。
なので去年つくったこれの第二弾を置いておきます。
大変恐れ入りますが前回に引き続き、情報だけを求めてきた方にはめちゃくちゃ読みにくい仕様です。
だらっと読んでおいて、そのうち台湾に行くことになった時に思い出して読み返す、ぐらいの用途を想定しています。あと去年泊まった分の更新につき、データは最新ではないこともご承知おきください。
宿泊者のこだわりについても前回の記事を参照されたし。
楊太に泊まってほしい度はただの…寝言です…。


・・・投宿リスト第二弾・・・
◆台北市内
レ スイーツ台北慶城
DGホテル(大稻テイ花園旅店)

◆台南
シェンノン147

◆金門島
インプレッション瓊林B&B


・台北商旅慶城館(レ・スイーツ台北慶城)/南京復興駅
2018年7月泊。1泊2日。
この時十日ぐらい台湾に行っていたのだが、そのうち台北での五日間を過ごした古亭(台北市内の地名)のホテルが、いかんせん安宿にもほどがある感じだった。多分日本から普通に予約する際の候補には出てこないため、そこの話は特にここには書かない。
まあそこは駅にも近かったしセキュリティさえ安心できるなら身の丈に合った部屋に泊まることにさほど不満はないのだが、最終旅程のまだ見ぬ金門に飛ぶにあたり、一泊ぐらいちょっといいところで英気を養おう、さもなくば死ぬかもしれないし……と思い色々調べて予約した松山空港近くのホテルがこちら。
とはいってもこの時は、一泊素泊まり12,000円ぐらいだったかな。
(※Expediaの航空券同時予約プラン。台北ナビだと22,000〜となっていた。シーズンによります)
んで、いやもう、なんか特別書くこともないぐらいにすごい快適でしたね……。休養という目的では申し分ありませんでした。
そんなあちこち泊まってるわけでもないですが、台北のいわゆる「シティホテル」の中では一番心地よかった。ここにメインで泊まったら外に出たくなくなるんじゃないか?と思いました。
前の宿から早めに移ってとりあえず荷物だけ預けようとしたんですが、物凄く日本語が流暢なスタッフの女性がオシャレだけど居心地のいいラウンジに案内してくれ、コーヒーをいただいてるうちに手続も済んでおり、チェックイン時間の前なのに清掃済みの綺麗な部屋にスムーズに通してもらえる。
前段で泊まってた古亭のホテルにて、決裁済みのはずなのにチェックインしようとしたら「前払いお願いします(台湾語)」って言われて、夜の十時過ぎに「お金振り込まれてますよね?」って業者にLINEする羽目になるなどの経験の直後だったため感動もひとしおであった。
較べる事案が間違っている。

お部屋。
宿泊したのはスタンダードルームなので広いわけではなかったが、軽すぎず重すぎずの落ち着いた調度。
ベッドにはカーテンがあるし、小さいけど窓もあるし、控えめながら中華風のテイストもしのばせてあってごっつい落ち着く。
バストイレは同じだけど一応ガラスで区切られてはいて、シャワーとバスタブも分かれてました。台湾のホテルはいいとこでも結構コンディショナーがないところが多いが、こちらは完備。
部屋には6種類のウェルカムフルーツに加えてウェルカムチョコ、これは箱入りのトリュフやボンボンなど六粒。
天国……?
(チョコすごいおいしい)
24時間利用できるラウンジには、ずっとサービスのコーヒーと各種スイーツが用意されてました。

アクセス。
安くて良いホテルなら星の数ほどあるが、この時ここを選んだ理由は、台北松山空港駅までわずか二駅の南京復興駅が利用できるのが大きかった。
(ついでに夜に饒河街夜市に行ってみたかったので、松山駅に一本で行けるというのもポイントが高かった)
立地的にも駅前だが、私はこの時松山新店線を利用してきたので、ホテルの最寄りの7番出口までは実は結構距離がありました。『思ったよりは』遠かったな。
まあ『思ったよりは』レベルですが、とにかくこの日は体力を使わないのが目的だったので。
あと大通りには面していないので、地図だけ見ていると戸惑うかも。駅前のメインストリートから、小ぎれいなプロムナードをちょっと入ったところです。

予約したプランは朝食つきだったが飛行機の時間の関係でお断りしたところ、チェックアウトの時にサービスでサンドイッチを持たせてくれた。
ホテル印の箱を開けたら隣のコンビニで買ってきたものだったけど、まあご愛嬌というか(ちょっと笑った)
総じてとても好きになったので、台湾が初めての人とかとりあえず交通の便がほしい人とかには、お値段が折り合えばこちらを勧めます。
私も今後友達と行く場合の有力候補だなあ。

楊太に泊まってほしさ ☆☆☆☆
とにかく山盛りフルーツがデフォルトのサービスで部屋にサーブされるって、もう太公望さん向けすぎるでしょ。
高級ホテルらしいほどよい距離感は彼氏にも許容範囲だと思います。団体さんが少なめの小ぢんまりした規模なので、館内も静かであまり人に会わない。
ただデフォルトでこうゆうところに何泊もしてるようたって、それ軟禁じゃねえの…?という疑惑がぬぐえない。(軟禁にもいいホテルだと思います)(楊戩同伴じゃないと外出られないんだよね)


大稻テイ花園旅店(DGホテル)/迪化街
2018年12月泊。3泊4日。
迪化街のプチホテル。
あの、行ったことがある方ならわかるだろう、迪化街が淡水河の水運からなる台北物流の拠点だった時代から連綿と続く道。
霞海城隍廟に奉られるお香が昼夜たなびき、多種多様な布を商う永楽市場が鎮座し、その正面から乾物屋や雑貨屋ががずらっと立ち並ぶ通り……。
あの道は実は二キロぐらい続いていて、本当にその一番端っこにあるホテル。
住所こそ迪化街だが、上で述べたような「迪化街の観光地」である南側のゾーンからは、実に二駅ほど歩く計算になりかなり遠め。
実際この旅行では(別口に忙しかったのもあるが)、迪化街の好きなお店はほぼスルーしてしまったぐらいだ。
でもホテルの入っている建物を含めて街並みはそのまんま続きの煉瓦造りだし、美しい提灯は遅くまでともるし、ぽつりぽつりとアートギャラリーや瀟洒なレストランも並ぶ静かな良い立地である。通りを挟んだ向かいにある台湾菓子のお店はお土産に好適。華泰茶荘も近い。
料金は12月だからか、「往復航空券つきの」3泊4日5万円台という破格さであった。

お部屋。
何故か南欧風にイメチェンされており華やかな気分になる。
宿泊した限りの台湾のリノベホテル共通点として、清掃は最高に行き届いていて快適。
ただ「歴史ある建物に泊まる」っていう気分は薄かったかな。建築はもちろん伝統的な閔南式ですが、パステルカラーとガラスがふんだんに使われて物凄い生まれ変わりっぷりである。
エレベーターは三階までしかないので、四階の客室に割り当てられたら階段。チェックインの時はスタッフの方に荷物を持っていただけた。
気になった点としては、おなじみ・最安値の部屋だったせいなのか知らないが壁の薄さがすごい。まあそれはよくあることではある。
あと明らかに椅子がある想定で家具が配置されてるんですが椅子がない。笑
デスクがあるのにない。笑
まあ安いから……。(二度目)
ワンランク上のお部屋からはすごくかわいいメイドイン台湾の家具で統一されてるようでそっちも気になりますね!
建物は古いとは言え防犯は電子キーで(比較的)安心。一度エラーが出て部屋に入れなくなりフロントに駆け込んだりもしたけど、まあ昔泊まったパリのホテルなんて同じことがしょっちゅうだったしな……。
実は付属のカフェのオシャレな朝食つきなんですが、残念なことに外出ばかりしていて一度もいただけなかったのでレポができない。

アクセス。
最寄り駅はMRTの「大橋頭」。
この駅から「延三夜市」という比較的ローカルな夜市に五分ぐらいで歩いて行ける。
(「大通りの中で屋台がいっぱい出てる特定のゾーン」って感じの夜市です)
そこから五分ぐらいでホテルまで帰れるので、この時は結局毎晩寄って帰ってましたね。
かなり奥の方にある新竹ビーフンのお店はどこで食べるよりおいしく、最終日も足が棒になってたけど行ってしまった。お店のおばちゃんが洗濯籠みたいなのでビーフン茹でてるけど……。バイクが轟音を立てて鼻先を走り抜けるけど……。

楊太に泊まってほしさ ☆☆☆
朝食はベジタリアン向けも出してくれるとのこと。
インテリアがロマンティック&フレンチガーリーに全振りなのは…いや、似合わないとは言わないが…。
あとすーすはガラス張りのシャワーを部屋から見られるのがかなりしんどそう(部屋によります)(でもようぜんは礼儀として目をそらしそうだけど)。
あと二人とも壁が薄いのは本気で嫌がりそうですね。隣にいるのが私なら私は別に気にしませんが……。


・神榕七四七(シェンノン147)/台南神農街
2018年7月泊(1泊2日)。
2017年の旅行で台南と台南のリノベホテルに死ぬほど入れ込んだのと、なんといっても外伝に出てきた神農様があまりにいいキャラしてて、これはもうあらゆる意味で神農廟に再度お参りするしかないと決めていたら神農廟の隣がリノベホテルであった。
即決。(力強いクリック)
神農街は本当に小さなエリアで元々は運河に沿って発展した街だが、その突き当りにある神農廟の参詣路みたいな要素もある。
今は古民家をリノベしたオシャレなバーや猫カフェ、若いアーティストが集まるような場所になっていて、下北沢を路地一本につめこみ神秘を上乗せしたような感じ。
漫画と混同するのもアレなんだが封神の神農様にもしっくりくる、お洒落な中にも抜け感のある空気がある。
「神榕」は神格化されたガジュマルを指す語。
ガジュマル(榕)の巨木と寄り添うようにある宿。
「道教廟の世界」によれば、これを祀るのは数少ない台湾のオリジナル信仰であるそうで、確かに根元には小さな廟があつらえられ、「神榕公」と扁額があった。

アクセス。
正興珈琲館の時も書いたのとほとんど同じ事情で、公共交通機関でのアクセスがいいとは言えない。多分タクシーが一番いい。バス停からはまあまあ近いが、バスの時間は結構まちまち。
神農廟が目的地だったらアクセス超いいんですけど。

お部屋。
宿泊したのはベーシックダブルルーム。
二階に三部屋あるうちの一部屋で、幸いちょうど神農街を見下ろせ、ちょっと隣を見ると神農廟の二階というロケーション。
建物は古いが清掃は行き届いている。バストイレは同室。
バスタブはなし、でもシャワーの出は良し。
やっぱりこの
「ホテルに泊まっている」というよりも
「下宿している」というような雰囲気が滅茶苦茶面白いんですよね〜〜〜!
実質スーペリアなのでインテリアは必要最低限でシンプルですが、レトロな扇風機などは味がある。(冷房もよく効きますよ)
あーあとスタッフさんがすごく親切でした。多分私と同い年ぐらいの女性のオーナーさんと近くに住んでいる日本人の女性が働いてて、ガイドブックを貸してくれたり案内してくれたり、行きたいけど不定期にしか開いてないカフェに電話して調べてくれたり、良いお店を教えてくれたり。

楊太に泊まってほしさ☆☆☆☆
私が宿泊したよりも上の三階と四階にそれぞれデラックスルームとスイートがあるんですけど、そこに滅茶苦茶暮らしてほしいです。
なんなら中の階段とか使わないでガジュマルをひょいひょい登って出入りしてほしい。っていうか私が次こそそこに泊まりたい……。
しかし立地としては隣家が神農様のとこというのが物凄いネックで、正直何もできないなと思いました。いやほんと臨場感がすごいんですよ。なんか神農様のお隣って普賢がお隣とか太乙がお隣とかそういうのとまた次元が違う感じがしませんか?


・インプレッション瓊林B&B
2018年7月泊(1泊2日)。
この時の台湾旅行のラストを飾ったゲストハウス。
とにかく行きつくのに物凄い苦労をし、そして死ぬほど金門のおばちゃんに親切にして貰った記憶が大きい。
とにかく私が皆さんにまずお伝えしたいことは、
「Googleマップは間違えていることがある」
「言葉がほぼわからない国の全く知らない土地で、Googleマップだけを頼りに徒歩でホテルを探してはいけない」
ということです。
本当にこれは私が甘かったのであり、海外というものを油断していた。いくら治安がいいとは言っても、一人でも悪い人に会ってたら何が起こってたかわからないですからね。反省です。
ちなみに今はGoogleさん、正しい位置をちゃんと指示してくれているんだけど、なぜか誤った方の位置も残ってるんだよな……。
(旅行の前に到着時間をきちんとオーナーの方に知らせておけば空港まで勝手を知ったタクシーの運転手さんを回してくれるし、オーナーさんの都合によっては無料で送迎してくれることもあるそうです)

そんなガチのクエストを経て辿り着いた宿ですが雰囲気は完璧。
いや、雰囲気というのもはばかられるというか、もはやただの本物である。
金門島は非常に数奇な運命をたどった島で、便宜上「台湾ホテルリスト」に入れさせていただいているが、あらゆる意味でここは台湾ではない。
大日本帝国が台湾島とその周辺を支配していた時、金門は清、ひいては中華民国の「福建省」の一部であったし、日本軍が占領しはじめたのも日中戦争が始まってからだ。
中華民国軍が大陸で共産党に敗走してこのあたりに雪崩れ込んできた時も、まだ台湾島とはなんの関係もない。
やがてこのちっぽけな島を最前線として中華民国が台湾島に臨時政府を置くが、その時もまだ島の人の意識は「ふーん」という話だっただろう。ここは一貫して「中華民国」であり続けた土地なのだ。しかし時代は流れ、中華民国が便宜上その本拠地の台湾島から「台湾」を名乗るようになると、何故か彼らも「台湾人」とくくられたりすることになる。
現地の方がこのことに強い違和感を持っているというのは想像できるし、中央への複雑な気持ちがあるのだということも聞いているが、ここの心情を慮るということは私の手に余る。(ちなみにここは省も名目上「福建省」。台湾本島は「台湾省」)
ともあれそんな歴史的経過を経て、もとは元代に戦乱を避けて富裕層が移り住んだというこの島には、清代にようやく漢民族が移住した台湾本島とは比較にならないほど古い建物がすごくたくさん残っており――――

そしてそこに泊まれる。

わけがわからない。

さて「インプレッション瓊林」である。
瓊林というのは宿が在する土地の名前。
明の時代熹宗の御代、科挙に及第したものが六人、将軍になったものが七人出たことから、優秀さを嘉して皇帝から「瓊林」の地名を下賜されたという。
すげえ!いきなりノリが中華だ(中華です)。
ホテルの建築様式としては、台湾本島の田舎なんかにもよくある三合院。北京の四合院は有名ですが、中庭を囲んだ建物の一方が開けてるのを三合院と称するっぽいですね。この辺詳しい人にはツッコミどころ満載なのかもしれませんが……。

さて、アクセス。
上記の通り、あまりよくはない。バス停はあるけど本数は少ないので、うまいこと捕まえられなければタクシーが現実的。空港を出てタクシーを拾って大体10分ぐらいだろうか。
(ただし鉄道がない金門島で観光客がアクセスの良さを求める場合、唯一繁華街と言える金城に宿泊するほかない。ここも名所旧跡がわんさかあってチュウゴクスゴイフルイタテモノスキーには面白い街だが、ここで泊まるとなるとやっぱりホテルになってしまう。
古民家に泊まりたいならどのみちその周囲に点在する古鎮の中から選ぶことになるため、私の中ではこのアクセスの悪さはさしてマイナスポイントではなかった)
タクシードライバーには英語もほとんど通じないため、ホテル名と住所を漢字で書いたメモを見せよう。

お部屋。
三合院は門を入ると中庭、正面が廟堂であり、廟堂の建物の左右に家長の寝室があるのがセオリー。中庭の両脇の建物にはその家の子供たちの部屋がある。
このホテルは四部屋で、私の部屋は廟堂の右側の部屋だった。
部屋としてシンプルに考えた場合、設備としては要するにシングルルーム。
清潔なベッドがあり、サイドに物置があり、広めのデスクに鏡もついてる。バスタブがないのは残念だがシャワーとトイレは奥。オープンクローゼットで、タオルや寝間着は持参のこと。

ただし鍵は閂。
もう一度言う。閂。

具体的には中からは木の閂を差して鍵を閉め、これでは外出時に施錠できないため、外からは南京錠をかけることができる。どちらも飾りではなく完全に実用で、もちろん別途電子キーなどがあるわけではない。
(とはいえ金門島は福祉が充実しており治安も統計的に本土より更に良いぐらいで、台北のフローラホテルのボタン錠と較べれば正直安心感はある)

楊太に泊まってほしい度
☆☆☆☆☆
正直に言う。
泊まってほしいとかを通り越し、これはもう住んでるな……という気分しかなかった。
いやー住んでるよこれ。客人として名士宅の一室を与えられてるよ。
そして風を読むことにたけた道士さまとして崇敬を集め(風が強い島なので当地ではシーサーに似た風の神の像があちこちに建っている)、冬の間この温暖な土地で旅の身体をやすめるのだ……まであった。

お幸せに……。(完)

「書きたいものが書けない」とあなたは言った



また質問箱より。

うーーーんなんかこの回答長くなっちゃったんですよ。
で、質問箱の本家の方にぺたっと貼ろうとしたら、5000文字までだったんで全然足りませんでした。
行けると思ったんだけどな…私本当に文字数を把握するということができないんだな…。

ほんとはこういう話は直にしたほうがいいような気がするんですよね。結構誤解とか言葉の行き違いとかが発生しそうなんで。
なんでかっていうと、この質問者の方と私は、結構根本のところから書き方が違うような気がするから。まあそうじゃなくても字書きって、一人一人書き方は結構違うものじゃないですか?
なので私には書き手としていくつかの経験則があるつもりですが、それらは自分にしか適用されないという前提でこれまでやってきたので、その辺を便宜的に当てはめた上で「あなたにとっても」妥当なのか擦り合わせながら話してゆくのが本当は一番なんだと思うんですよ。でもこれ質問箱なんで、結局は一方通行の話になってしまう。
なんであくまで「私だったら」とゆう回答になることをご承知の上で、質問者の方には下記読んでいただきたいと思います。



多分、こういう話の「回答」って、人によってはたとえばこんな感じなのかもしれない。

「とにかくそれが書きたいものじゃなくても書いて完結させるんだよ。それはいい研鑽になるから、次には書きたいものに繋がるよ」

いかがでしょうか。はい、うんざりですね。まことに申し訳ありません。
えー――だってやだよそんなの趣味でしょ。仕事ならつらくてもがんばって何百文字とか何千文字とか書かなきゃいけないかもしれないけど趣味なんですよ。まあ研鑽自体はいい行為なのかもしれませんが、そもそも私自身が根気ゼロ全くの無なんで、書きたくないものなんて1行だって書きたくない。あと瞬時に前言撤回します。これにかけては研鑽とか意味ねえと思ってる。本当のところ書けないものを無理やり書くということに、ほとんど反自然的な不毛さしか感じていません。体調も悪くないのに下剤によって行われる人工的な排泄と同じです。健康に悪いからやめようそして漫画読んだりゲームしたりしよーぜー。
そして私は実は、まずこの方に聞きたい。

「その書きたいものは本当に書きたいものなのか」

と。

私の話をします。
私の基本スタンスに、「書きたいものが書けないっていうことは本来ありえない」というものがあります。
逆にいうと、
「書けないというのは、本当は書きたくないからである」
と考えている。
書きたくないというのは、「今は」書きたくないのかもしれないし、「別に」書きたくないのかもしれない。それはわからないけど、私は、書きたい内容があるのに書けないというのにまず違和感があります。
だって漫画や彫刻やその他様々な芸術的才能の中で、小説って一番「平凡な」ものなんですよ。
そりゃある程度は文章も訓練が必要なんだと思うさ。
でも小説を書きたいって人は、まず小説が好きって人なんだと思うんですよね。小説が好きっていう人は必ず、ラノベでもなんでもある程度は小説を読んでいる。
そして小説っていうのは数を読むうちに漠然と、「どのように書けばいいのか」ということはわかってくるものです。それが証拠にいわゆる小説入門では必ず言われます。「とにかく量を読むことだ」と。
自主的に小説を書きたいと思った人が、最初から全く書き方に見当もつかないというのは、そういうわけでかなり考えにくいです。
しかも小説というのは、下手だからって彫刻刀が滑って指を切ることはない。
馬がいる、ということを表現したいときも、「馬がいた」という1行だけで馬だと伝わるんです。
漫画であれば、これ、根っこの生えたバケツかなんか?と言われるようなこともあるかもしれないが、さすがに小説でそういうケースはない。あるとすれば逆になんか凄い高度な実験的なことやってる。

では、どうして書きたいものが書けない、と思うことがあるのか?
書きたいものとはなんなのか?

これも私の見解です。
「キャラがエモいと思うポイント」とか「自分が見たい胸熱の展開」とか「ちょう好みのシチュエーションエロ」とかは、それだけでは「書きたいもの」じゃないです。
それは単に自分の中の最高の萌えです。萌えという言葉は女性向けではもう古いのかなーとか思うけど、今のところ私は他者と隔絶した純然たる自分の二次元への狂乱を表現するのにこれ以上適した言葉を知らない。
萌えはすごく大切なものです。だって軍師たまに萌え転がってるとき、この部分が一番楽しいでしょ?これがなかったら生きていけない。でもそんなん脳内で楽しく転がしておけばいいだけじゃないですか。何も小説にしちゃわなくてよくないですかそんなのもったいない。私たちが太公望の何気ない静かな表情に突然きがくるったり、存在自体に泣いたり笑ったり楊戩から太公望への感情の重さに死んだりするのって、別にそれは自分の素人文章のネタにするためじゃないんですよ。ここは非常に重要です。
そして小説にするっていうのは、それらの自分の精神の躍動を、ある意味で殺すことですらあります。文章として落とし込まれて形になったとき、その火は揺れることをやめるのだから。

言い方をちょっと変えましょう。ここから比喩になります。
小説を書くっていうのは自分の中の好きな景色に浸ったり、自分の中にある遊園地で遊んだり、自分の中の畑を耕したりすることではないんです。それだけのほうがどれだけ楽しくて気楽か。それだけならわざわざ著作権グレーゾーンに突っ込んだりしなくていいんだし。
でも、他者にもその景色を一枚の写真のように――あるいはVRのように――味わってもらったり、他者にもそのジェットコースターを遊んでもらったり、あるいは労働を体験したりできるように提供するのが、小説にするということだ、と私は考えている。

失うものはたくさんある。

どんな妄想だって第三者の目に触れさせなければ無限に自分の好みに変容させていくことができるけど、一度形にして第三者を介在させた瞬間から、もう「自分のもの」ではなくなる。あれだけなんの責任もなく自由自在だった自分のためだけの妄想は、手入れとメンテナンスをして出荷するべき製品になる。たとえ金銭がそこに介在しなくてもこの本質は変わらない。他の誰かに見せる以上、その人が「これはおかしい」と言った瞬間、自分もまたその夢を失うのだから。

なんでわざわざそんなことをしなければいけないのか。
私の場合は、それでも他者が必要だったからだ。

太公望がささやかにゆっくりとあの完結後の世界を生きて、それなりに暮らし、満たされて、いつか誰かと再会するという物語に、私は「自分が生きるために」すがりついた。
そして私は、自分ひとりではその妄想を担保しきれなかった。どれだけ幸福な物語を考えてもそれは嘘だということを知っていた。だって私の中ではどうしようもなくそれでも原作が全てなんだ。あの太公望の最後に振り返った顔、あそこで途切れた物語が全てだった。
だから、自分の願望を形にして他の人に読んでもらって、「こういうのもありなのでは」と思ってもらうことにしたのだ。「そうだよねありだよね」「なしではないよね」という会話から自分を洗脳しようとしたのだ。なんと姑息な話だろうか。
これについては何度も書いている。
私は、WJ封神演義と太公望という存在に奈落に突き落とされて、そこから他でもない「自分が」救済されるために小説を書き始めた。自分を洗脳して、精神を安定させるために。
……まあだから外伝であれだけ動揺してたんですけどそれは置いといて。
でも人が書く理由は、それだけではないことも私は知っている。

あなたの中にたとえば神の山があり、その威容、その寂寥、その荘厳に打たれる時、あなたはそれらの「なにがしか」を他者に伝えずにはいられなくなる。
あなたの中のジェットコースターが確固たる存在となり、その緻密な機構もスピードの緩急も頂上の壮大な景色も、歳月に晒された滑車のわずかな錆までが自分の内宇宙で明瞭になった瞬間、その明瞭さは否応なく唐突に「具現化」を求める。
夏の朝の一面の霧に覆われていたあなたの中の畑が不意に陽光の下に姿を現し、大地の草いきれに煙った時、あなたは無性に耕している。――もう書いている。
そういうものだ、と私は思う。
「書きたい」というのは、そういうことの全てだ。

あなたの中にその山はあるか。
遊園地は、畑はあるのか。
もしも、もしもですよ。
非常に失礼な仮定を許してほしいのだが、もしもだ。
もしあなたが頭の中で、山の話を書きたいな、と思ってるだけなら、それは実は「書きたい」ということではない。
山で遊んだ、楽しかった、という気持ちもまだだいぶ、「書きたい」という衝動からは遠い。
「こういう山の話」と考える時、そこに自分にとっての引力があれば、否応なしにその精密な細部が眼前に現れる。
それは石段から木の道に代わり落ち葉に埋もれる登山道であり、ぬかるむ足元、柔らかな下生えの翡翠に似た薄色、自分のうるさい息切れが迫ってくるころに不意に開ける展望や、どこかで鳴く知らない鳥の声だ。
――あるいはそれら全てがなくても、頂上の景色があるだけでもいい。
そのなだれ落ちてくるような空の蒼さは、あなたの中にあるのか。そして言葉の無力さに身を切られながら、万の言葉を尽くしてでもその蒼を伝えたいという「何か」はあるのか。
それがないなら、やはり「書きたい」ということではない。
自分の中におぼろな山の写真一枚しかないなら、それをコピーして人に見せることになんの意味があるだろう。

でも――私はこちらであることを願う――あなたの中には確かに、影深く緑なす山があるのかもしれない。
木々はざわめき鳥は囀り、人が四季折々に山菜や薪を採りに入る恵みの山だ。
時折は鹿の姿を見ることもできて、奥には狼が生き残っているという噂さえ流れる、蒼翠滴る深い山だ。
そしてそれだけなら書く動機にはまだなり得ないのも先述した通りだが、あなたは本当に、それらを人に伝えたいと烈しく思ったのかもしれない。あるいはそれらを確固たるものとして手の中に残すために、刻みつけるように書かなければいけないのか、――山が書くことを、あなたに命じたのか。

ただ単にあなたは、それを言葉の世界へと引き移すすべを持たないのかもしれない。
獣の姿が見えてもなんなのかわからず、秋に赤く染まる美しい木々を見ても名前がわからないから立ちすくんでいる……。

――だとすればそれは、あなたに才能なんていうあやふやなものがないからではない。多分引き出しが足りないのだ。
ここではじめて私は、「普通の」アドバイスらしきことが言える。
引き出しはいくらでもつくれる。
小説を読め。


補記1
上記のようなプロセスを一切持たず、頭で緻密にプロットを考えて素晴らしい小説を書いている人も多分いるのだと思います。私の方法論は感覚的すぎて、方法論というには非常に脆いという非難もあるでしょう。
ただし二次創作の場合、職人気質というものが原作に対する姿勢として妥当かという疑問は、私の中にはどうしても残ります。

補記2
この最後に書いた「小説を読め」というのは、「自分の中に確固たる言語感覚を築く材料」の話であるので、できることなら単に好きというだけで選ぶのではなく、確立されたスタイルと明晰な理論を持った文章が理想的だと考えます。ただし自分が楽しく読めることは大前提です。個人的にはいわゆる「文章論」も自分の血肉にする上で十分実用に足るという考えですが、残念ながら友人からもあまり同意されたことがないですね。
お勧めを一応あげておきます。
三島由紀夫「文章読本」
円谷才一「文章読本」
本多勝一「日本語の作文技術」
「文章読本」系なら谷崎潤一郎のも好きなんですが、この人の小説本体はともかく、文章技法についての述懐はさすがに時代を感じて「実用的」とはいえないのがつらいところです。

補記3
そんなことより本出すと決めた時は書けると思ったのに今!〆切が!!もうすぐなんだよ!!!!!ということだったらマジですいません。
ただ、字書きの良いところはその気になれば一晩でも二万字書けることなんで、最後の三日ぐらいは保険に残しておいて、気持ちは焦らせず、とりあえず上記の文章論とかを移動時間や風呂で読むっていうのも私はアリだと思うよ。というか私ならそうする。明日とかだったらごめん。でもこんなん読んでる場合じゃないぞ。