さっきの

四聖の話で思いついたので追記。
いや、聞仲が四聖&張奎を信じてないわけじゃないのは朝歌と紂王陛下を守る役目を与えたところから明らかなんですが、どうもこれもう一枚あって、聞仲は「崑崙もろとも通天教主と十天君、及び金鰲を滅ぼす」ことを前提とした自分の戦略については、さすがにこの面子に言えなかったんではないか?という気もしてきたんデスヨネー。
彼らが自分を慕ってくれていて自分に忠実なのも重々わかっているのだが、それでも特に四聖は金鰲島にある九竜島が未だに基盤でもあり、通天教主と金鰲島を落とすというのは結構な衝撃だということも理解してたと思うですよ……。
聞仲は既に悩むことをやめてしまっているので、自分一人で全部片付ける自信がある以上そんなことを話して大事な時に動揺させたくはなかった(あるいは自分が動揺したくなかった)ってのはありそうな話ではある。
まあ基本全部、私の妄想だけどね。
うわーもう一時や。明日イベントよろしくお願いします……。→おしながき

アムリッツァだよ!全員集合

文章が今ひとつまとまらなかったがお許し願いたい。

というわけでYJ銀英伝ではアムリッツァへ向かって同盟軍死の行進が燦然と輝きつつありますが(皮肉)、封神で太公望が行った朝歌遠征は、ここの構図がほぼ重なるんだよなーということを最近つらつらと考えておりました。
非常に簡素な線を描くと、「補給線が非常に長いことを理解しながらあえて隣国に侵攻する」という基本形がまず一緒なんですね。まーこの場合「隣国の非道を糾す」という目的も(表面上は)同じなので、どうしてもそうなるわけなんですけど。

で、まあ話半分に聞いてもらって全く構わないのですが、
実際この展開を30年前小説で読んだ藤崎竜が、
「あそこで同盟軍を勝たしめるためにはどこをどうしなければいけなかったか」
を考えた結果が、
この一連の流れにダイレクトにつながっている
と言っても実は過言ではないかもしれないのである。

何せ大義ある出兵である以上、飢えた敵の民に食料を分け与えながら進軍しなきゃいけないところまで一致してますからね。
だから周の軍師としての太公望は、
「他の諸侯を糾合し」
「食料を前もって(周公旦が焦れるほどに)増産し」
「街道を敷いて補給に備えた」
わけです。いやもう、同盟軍もこれができれば最低限負けはなかったかもしれないってのがこのラインじゃないですかね。(まあ同盟にしてみればイゼルローンの向こうに糾合できる相手はいないんですが)そりゃ楊戩だって褒め称えますわ。
ただ、まだ安心はできない。
特に聞仲ってさりげに「戦場で太師=軍師として兵をひきいて戦う」こともずっとやってて今回もその意欲は満々だったんで、そこらへんきっちり指揮されたら周軍も相当きつかったと思います。
周の側としてここまで備えても、今週号のキルヒアイスがやったみたく、補給部隊襲撃を許してしまったらおしまいなわけですから。太公望はそっちにももんのすごい神経使ってたはずです。
ではどうするのか、と藤崎竜は考える。
同盟軍こと周の勝利を『少なくとも人間の世界では』確定的にするにはどうすればいいのか。
一番いいのはラインハルト、じゃなかった、聞仲を押さえるのだ。
だが太公望では、それは無理だ。
かくしてもう一人の封神計画の執行者が生まれた――のかもしれない。

いや実際、ここで敵の軍事トップが四ヶ月動けなくなったのって周軍にとっては本当に助かったはずです。太公望が「なぜ来ないのか」としきりに不審がっているのも、仙道としてだけではなくて聞仲に殷軍全体の指揮をされたらこんなものではない、という考えはあったとおもうんですよ。
四不象から見た描写では「戦いは何もなかった」っていうことになってますが、トップがあれでは組織だった抵抗が難しかったんじゃないでしょうか。
そういう意味で十天君の裏にいた王天君は本当にわかりやすいぐらい「周のために」動いているのだ。
んで、四ヶ月も監禁されている間に事態がガンガン進んでしまい、崑崙はもちろん金鰲にも不信感を募らせてまず仙道を一掃しなければ後がないと思いつめた聞仲が選択した道が――仙界大戦につながっていくわけなんですけど。

最近のあれこれについてちょっとだけ(ちょっとではない可能性)

長文です。
滅多にこんな注意書きしないんですけど今回はそこそこ長文で、しかも萌えや作品語りですらなく、えらくめんどくせえ話をしているのでご注意。

いや。
ねえ。
せっかくめでたいのに界隈がなーんかざわついているなあと思ったら、また自我の話をしているわけです。
ほんとにフジリューファンは哲学好きだな!(その話はもういい)
……Twitterやってない方には申し訳ないですが、ぶつ切りの短文でやる話でもないんでこちらで話すことにします。あと内部よりもこういう形の方がいい気がするんですよ。なんとなく。

話題についてざっと解説すると、ある人(ちょっとフォロワーさんが多いだけの1個人ツイッタラー)が以前Twitterで、
「昔はみんな自我が芽生えてなかったから楊太だった」
という旨呟いたことがあり、一部で拡散されてネタ混じりに話題になったと同時に現在進行形で楊太やってる人が悲しんだり傷ついたりした、ということがありました。
とは言っても大分前です。見たら2016年02月のことです。ちょうど1年半前ですね。
私も当時はそこそこ激烈に突き放した記憶があります。こっちではなくて個人アカウントの方だったけど。
自分の投稿の過去ログを辿ると、
「現役楊太者がいろんな形で(ある人は笑顔である人は真顔で)イラッと来てるアレの件私も素でイラッと来たけど、目が覚めたところがまた夢の中じゃないと信じられる感性はまあおめでたいことです。想像力もないわけだし、既に同カプじゃないなら何よりなので近寄るな。」
と言っています。過激ですね。
しかしそれが今回の件で、なんかまた話題になっているという。
ちらっと見たらあれですね、そこから面白い言い回しをしようとして「みんなそう言ってる」みたいな話にしてる人もいますね。もしやこっちが今話題になってる方なのか。
言ってねえよ。一人のちょっとそそっかしい人が言い出したのがRTされまくっちゃっただけだよ。

(ちらっと見た過程では「自我が芽生えてなくて推しカプというのはなくアンソロ読んでるくらいだった」「自我が形成されてなかったから面食いだった」という方もいて、その言葉の使い方はめちゃくちゃ正しい。拍手)

まーあれから結構人の出入りもあったため、最近ハマった人はそりゃそんなもんはじめて見たら嫌な思いをするし悲しみます。
Twitterの難しいところです。
ここにはたった一人の誰かが言い出した斜め上の発言がRTや転載とかあと派生、パクツイですか?そのへんでめぐりめぐっていろんな人に影響を与え続けるっつう現象があり、非常に危ういわけなんです。物事が自然に沈静化し忘れられると言うことが難しい。特にこういうのはほんとそうです。非難の意図を持つ人もやっぱりRTして周知しようとするため忘れられないのです。
それでいて呟き自体は非常に簡単となると、もはや構造の問題があると思います。
私が人と喋るの大好きにもかかわらず、TwitterをSNSとして使うことを極力避けてどちらかといえばミニブログとして利用しているのは、そういう構造自体が怖い、という理由もあったりする。(リプ飛ばし合うのが嫌いとかではないです念のため)
ただRTとかで回ってきたのを見てカッとなったり悲しんだりした時にやっぱりちょっとだけ思い出すべきなのは、「もしかしたら既に発端となった当人が反省もしくは後悔しているかもしれない」とゆうことだと思うわけですよ。
すげー綺麗事かもしれないんですけど。だいたい今当該の呟き主の人が何してるかなんて私知らないですし。
まあでもそうかもしれないなあ、というところは考えておきたい。
そうだとしても、当人にもどうしようもないところまであっという間にいってしまうのは事実なのだから。
そしてあまり傷つきすぎず、でも悲しみは殺しすぎず、わかちあえる相手がいるといいなあ、と思います。

(話はそれるけど、そう言う意味では2ちゃんねる、特に同人板、801板はいびつながらそれなりに受け皿だったよなー。あそこは無法地帯と言われていたけど板によってそこに適したルールを定めるという仕組みが実はちゃんとあるのでね……。
当然仕組みがちゃんと運用されてないこともあったけども。
もしかしたらマストドンはそういう媒体になり得たのかもしれないが、あれどこいったんだろ……。)

ついでに今回は早バレ云々とそれに続くあれこれも話題になったわけですけど、正直早バレなんてものがあるって知らない人もたくさんいるわけで、ネットで見た一報とかうっかりすると友達から知らされたのが最初だったりするとなー。一目見たらテンションもあがって誰かに言いたくなる気持ちもなー、まあなー、っていう感じ。
恥を忍んで話すなら、私とかだとそもそもトレンドすら見ない偏ったTwitterライフ送ってるんですけど銀英伝の新連載の時はずっと連絡がなかった友人からいきなり第一報の早バレが来ており、理性をなくして荒ぶったまま怒涛の呟きをしてしまい、それはやっぱりまずかったとは思ってます。軽率だった。
その節は本当に申し訳ありませんでした。
ただ私みたいなそこそこネットに入り浸ってる人間は反省すべきだと思うんですが、そうじゃない人って多分いっぱいいるじゃないですか。
印刷所の職員がデータ盗んでそれを売りつけられたブログが早バレで閲覧数を稼いで広告主から広告料をもらう、っていう仕組み(ものすごく大雑把に言っています)があるということを知らなければ、うっかりすると単に善意で拡散された情報だと思ってますよ多分。
それで封神が好きでわっと飛びついちゃった人が、あとからすごく反省して責める言葉に傷つくかもしれない。
別に傷つくことはないです。
もちろんダメだけど、知らなかったんだから、これから気をつければいいわけです。そうじゃすまないことも世の中いっぱいあるけど、これはそういう程度の話だと思う。というかそれしかないです。同じものが好きな人同士、それ以上に間口を狭めたってしょうがないじゃないですか。

どっかに明記されているわけでもないルールに気がつく前に失敗した人が、そのままいずらくなってしまうという状況はやっぱあれだなあと。
考えすぎかもしれないけど、そういう感じに今なりかねない状態になっているのではないかと、ちょっと心配しております。
……。
特に結論はない。



あー一応言っておくと、ダメなもんはもちろんダメですし、誰かが言わなきゃいけないですよ。
女性向けネット同人の黎明期に「とりあえず人が増えると身内でルールづくりをはじめる」という女性の集団の習性から生まれた「毒吐きネットマナー」とか「ティンカーベル」の精神は、黎明期の激変する時代に速攻合わなくなってすぐに批判の対象になっていったわけです。
でもSNSの登場とともにその辺の認識まで排斥されきったところのネットを営利精神が席捲して、キュレーションサイトが瞬く間に出来上がったの、非常に興味深いと思ってますからね私……。
基本的には互いに学習を促して、寛容にやってくしかないんじゃよ。つまらない話だけどほんとうにそうなんじゃよ。
不変の真実なんてないけれども、これ結構真実に近いと思うよ。